これもまた愛

LOVE KENTYって言いたい

頭の整理をしたらこうなった

こんにちは。こんばんは。

生きてます。

なんとかかろうじて。

 

 

(ところでこのあと驚くべき長さの文章がやってくるので気をつけてほしい。)

 

 

 

この1か月ほどの間に大きな変化がたくさんありましたね。

夏のツアーが始まる前のわたしに伝えても信じないことがたくさんある気がします。

 

とくに、グループ名が変わることについては。

 

驚きましたが、

4人がこれからも活動していくために、

今後のためを考えてのことだとわかったので本当によかったです。

 

めちゃめちゃいろいろなことがあったのでさかのぼってどうだったああだったと

全然できる感じじゃないですね。

 

 

ちょっと写真だけでもさかのぼってみるか。

 

 

 

 

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だいぶやばいところまで積み上がった雑誌

 


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成人式の前撮りで写真屋さんが用意してた薔薇。

これを振袖を着た娘から渡されて

今まで育ててくれてありがとう

とか言われて泣いた(泣いた)

 

 


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渋谷のリプモンティー

 


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つらかったときに支えてくれたケンティー

(やけ酒)

 


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大阪のリプモンティー


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大阪オーラスの夜

 


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リップモンスターを手に乗った

ケンティースカイライナーで

成田空港から大阪に行った

 

 

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最後に行ったジャニショ渋谷。

 

 

 

 

 

でも、シングル発売はよかったよね!!

「本音と建前」めっちゃいいよね。

「Try This One More Time」もめっちゃいいよね。

 

 


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タワレコ


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シブツタ

 

 

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ケンティーの壁(ベロ)

 

発売日のお昼くらい。

(あのあとあんなに売り切れちゃうなんて)

 

 

 

そしておま罪が近づいてきているし、

ドームツアーもあるんだもんね!!!

楽しみすぎる。

 

あと、グループ名がどう変わるかも楽しみ。

 

すっかりデビューしてからファンになったので

新しい名前の発表に立ち会う時が来るとは思いませんでした。

本当に第2章じゃん。

 

…第3章???

 

いつもいつも前向きな姿勢で活動して発信してくれる彼らを見ると

まぶしすぎてつらいときがありますが(わたし側の問題で)

でも、彼らをまっすぐ応援できるときはコンディションがいいときです。笑

 

 

 

ここ数か月、わたしは人生史上最も悩んでいたといっても過言ではないほど

とても悩んでいました。

(深刻な話ではないです)

 

で、いろいろあって、なんというか一つの答えみたいなところに、

うーーーん。

答えというか、仮説かな。

そういうものが自分の中ではっきりしたので

それを基にあとは検証作業をしていけばいい感じになりました。

これが難しいんだけど笑

でも、とりあえずここまで来たらちょっと安心。

やることは山積みで課題も大きく、そうそううまくいかなそうだし

根気もいるし、時間もかかりそうで果てしないですが。笑

 

 

なぜかわかりませんし、みなさんもそうなのかどうか知りませんが、

こういう方向性でこういうことを大切にして生きていく

ということが明確でないととてもつらいんです。わたしという人間は。

 

 

 

それでいろいろ大変だったのですが、

でもいろいろ今の時点でわかったから整理として書いておこうと思って。

で、それにケンティーが関係しているのかどうかというと関係しているけど

はっきりいってわたしの話だからだれにも何の得もありません。

(いつも)

 

 

 

 

 

どう考えても

 

みんなが幸せに生きていける

 

以上に大切ななにかがあるとは思えないんですけど

どう考えてもそれは絶対にできそうもないじゃないですか。

(いきなりなんかでかくて哲学かよ、やべえな、ってことを言い出します)

 

どういう単位でもそうだと思うんですよ。

個人でも、家族でも、学校でも、会社でも、地域でもなんでも。

 

で、それのためにいろいろとどうしたらいいか、ああしたらいいんじゃとか

こうしたらいいんじゃとかみんないろいろやってるけど

もちろんゴールにたどり着く日は来なくて、

それに向かって努力していく

ということ以外ないんですよね。これが。

 

だから、大事なことは

 

みんなが幸せに生きてけるようにするために努力する

 

ってことになるんですけど(わたしの中では)

 

それには

どういう風にすればいいの?

っていうのが全くわかんなくて。

 

たとえば家族。

家族っていうくくりも、まあ、曖昧なんだけど

どこまでの家族か、とかいろいろあると思うんで。

 

でもまあ、自分のことで最小単位だと

わたしと夫とこども3人

なんですけど、

別にいがみ合ってることもないし、仲はいいけど

それはそれでいいけど

家族としてどういう状態だと

 

みんな幸せに生きていけるために努力する

 

ってことになるのか。

 

これはけっこうわかりやすい。。。

ようでわかりにくい。

 

けど、よくある話でいうとさ。

 

カレー食べたい人と、グラタン食べたい人に3:2でわかれるとするじゃん。

 

これは、作るのがわたしだからわたしの都合とか冷蔵庫の中身とかいろいろ関係するけど

たとえば、

じゃあ多数決で決めよう

ってするともめるときあるよね?

うちはあったね。

特にこどもが小さいときは

すねたりするよね。

自分の意見が通らなかったときは。

 

じゃあ、じゃんけんで決めようってなったりするよね。

カレー側とグラタン側の代表者でじゃんけんするときもあるし

5人でじゃんけんして勝った人の食べたいものにするときもある。

 

でも、負けた側が文句言ってもめたりするよね。

 

おまえの家のこども全然言うこと聞かねえじゃねえか

 

って声があるとしたら、それはそうなんですけど。笑

 

 

 

 

でも、なーーーーんか、それでいいのか、って思ってて。

 

みんなが幸せに生きていくための努力をする

 

のが大切なのに、多数決とかじゃんけんで負けた側が納得できなくて泣いているので。

 

これは、その子がワガママなのだろうか。

 

という、素朴な疑問っていうか、そういうのがずっとあって。

 

だって、その決め方に納得できなかったわけだから。

 

 

「そういうルールだから」

 

とかいうのはだいたい勝った側の子なのよ。

で、めんどくさいわたしもつい言っちゃうのよ。

 

「だって負けたんだから仕方ないでしょ」

って。

 

だけどさぁ。

 

そういうものだとすると、

多数決で勝つには多数派でないといけないんですよ。(当たり前)

 

たとえば冷蔵庫にはどっちの材料もあって

作る時間と手間的にもどっちでもよいわたしがいたとして。

たとえばカレー側3、グラタン側2で、わたしがカレー側だったとするでしょ。

 

グラタン側の子が、

ママ、グラタンにしてくれたら食器は僕が洗うよ

とか言ったとするじゃん。

 

そうすると、わたしとしては楽だから

じゃあ、べつにグラタンでもいいかな

とか思うわけよ。

 

そしたら2:3になってグラタンが多数派になってグラタンになっちゃうのよ。

 

カレー派は文句いうよね。

 

で、それはルール違反だ、とか、ずるい、とかなるんだけど

そもそも多数決をする前に前提条件として意見を変えてはいけないとかいってなかったらナシではないし、

 

パッと聞くだけだと

お母さんのお手伝いしてくれてえらいうえに頭もいい子

みたいな雰囲気さえするのだが。

 

お前の家どんだけ食い意地はってんだよっていうのはありますけど。

 

 

 

でも、なーーーーーんか。

そこはかとなーーーーく。

 

そういうもの?

それでいいの?

 

なんなの?

 

 

 

っていうのがどっかにあってさぁ。

 

 

 

 

 

でも、どうしたらいいのかわからないわけですよ。

 

 

で、そういうときに

多様性

とか

ウェルビーイング

とか

だれも取り残さない社会

とか聞くとさ、

 

カレーかグラタンかでも、人はもめるのに

そんなことできるんかね?????

 

という、ちょっとした絶望を感じる、

 

みたいなことがありました。

 

あったんだから仕方ない。笑

 

 

 

 

そういう気持ちをなんとなく持っている中で、

わたしはあるチームでいろいろ決めて活動していくことになるんですよ。

 

で、そのチームがね。

とんでもなく個性の強い5人の人間とわたしとよく知らない1人で成り立つ7人だったわけなのよ。

 

とんでもなく個性の強い5人といったけど、

わたしも人のこと言えなくて、まあまあクセが強めだと思われていることも知っている。そう思う人がいるのだから、そういうところもわたしにはあるんだろう。

 

なので、その人たちと会議をするとめちゃくちゃなんにも決まらないの。

全然。一生対立してるし、そもそも人の話を遮って話し出したりするし、

最後まで話聞かないし、イライラするし、時間はかかるし、疲れるし

言い方もむかつくやつもいるし、余計なことばっかいうし、

話は脱線するし、勘違いしたまま反論されるし、勝手に話し出すし、

わたしもイライラするし、嫌みの一つや二つ言いたくなるし、

(永遠に止まらない愚痴)

 

とにかくめちゃくちゃです。

 

しかも、その中の一人の人の、配慮のない言い方が本当に嫌で、

そいつのことはだいっきらい!!!!!!!

(個人が特定できないからいいやろ。あとこの話はまだ続く)

 

なんも決まらないからね、その会議。

マジでやばいからね。

それにわたしも参加しててその会議の一部なんですよ。

 

絶望だね!!!!!!!

 

という状況がつらすぎてめちゃくちゃお酒を飲んでいました。笑

 

でも、とにかく、決まらないのは困るんですよ、みんなが。

で、なんでそんな風になっちゃうのか原因さえもわかんないよ!もう!!!

 

って思うけど、どうにかしないといけないし。

 

そもそも、めちゃくちゃきらいなやつがいるけど

かといってその人がどうでもいいわけでもないんですよ。

 

みんなが幸せに生きていくための努力をする

 

ということが大事と思っているわたしは

その人だって幸せに生きていけるようになるといいと思ってるんですよ。

本当ですよ?

 

すききらいとそれは別だから。

 

意見は合わないし、こっちの話を聴かねぇし、

話し方の配慮のなさ、とげのある言葉は本当にいやでやめてほしいけど

その人も幸せに生きる権利はあるじゃない。

 

で、お酒を飲みながらグダグダグダグダとそういう話をするドロドロの妖怪みたいなわたしに、

わたしとはまたタイプの違う人はだいたいこう言うのである。

 

その人と関わらないようにすればいい

 

と。

 

 

 

 

問題解決してねぇのよ。

同じチームなのよ。

一緒にやっていかねぇといけねぇのよ。

 

そいつを排除して、

はぁすっきり!

じゃないのよ。

 

または、

 

じゃあ、わたしやめます!

とかでもないのよ。

 

解決策が知りたいのよ。。。。

 

カレーとグラタンでもめたときの

平和的な解決方法が知りたいの!!!

わたしは!!!!!!

 

 

関わらなければいいの次のパターンがこれ。

 

話し合うしかない。

 

話し合ってもめているのに(号泣)

 

どこに向かって話せばいいの?

一言目から対立してんですよ。

一生平行線なんだよぉおおおおおおお

 

 

 

 

 

という、非常にコンガラガッタ妖怪と

この数か月お酒を飲み続けてくださった

あの人もこの人も

あの方もこの方も、

 

巻き込まれたあの人も、

朝まで絡まれたあの人も、

 

終電を失くしたあの人も

タクシー代がやばいといっていたこの人も

 

家まで歩いて帰らざるをえなくなった方も

 

 

大変ありがとうございました。

感謝しかありません。

 

特に直接対決が激化して瀕死で帰ってきたわたしと

磯丸水産に行ってくれた夫。ありがとう。

 

磯丸水産のお通しの冷凍ししゃも(網で焼いて食べる)を

これ硬いね~

と言いながら、そのまま口に入れて噛んでいる姿に

心の底から癒されました。

(まあまあ笑った後、それ焼くんだよ、と教えてあげました)

 

 

そんな最悪の状況ですが、

いろんな人の話を聴いたり、紹介された本を読んだり。

動画を見たり。

 

ちょっとずつヒントが隠されていて

それにちょっとずつ気が付いたような気が付いてないような。

 

「合理的配慮」について考えてみたり、

自分と違う人とのコミュニケーションについて学んでみたり

本を買っては途中で読むのをやめたり

相手のことを知ろうというワークショップに参加したり

講演会に参加したり

ケンティーの雑誌を買い漁ったり。

 

とはいえ、モヤモヤは続く。

嫌いな人もさすがに毎回ケンカのようなやりとりは少なくなってきて。

(衝突を避けてる)

しかし、チームの意見はまとまっているとはいえず。

あきらめた感じだったり、スルーしたり。

火種が下火になったと思ったら燃え上がったり。

 

並行してやることはたくさんあり。

しんどい。

 

しかもさ、この悩みを

わたし個人の成長や、寛容さ、おおらかさ、

思いやり、相手のいいところを探す、良いところに目を向ける、

笑顔、気分転換

 

などという、なんというか、

「気持ちの問題」

とかいう得体のしれないもので解決に導きたくない。絶対に。

 

とも思っていた。

 

なぜなら、それってまた同じことが起きそうだから。

 

それと、「寛容」についても考えていた。

 

わたしは寛容でありたいが、相手が寛容でなかった場合、

結局のところ寛容ではなくなるのだ。

寛容は不寛容に対してだけは寛容ではいられないのだ。

矛盾。

圧倒的矛盾。

 

多様性もそう。

多様性を大事にする側は

多様性をヨシとしない側に対しても多様性の一つとして認めることになると

結局それって多様性を認めないことになるから

多様的であることをヨシとするならば

多様的であることに対して否定的な意見だけは認められないのだ。

 

それって一生平行線で対立しかなくない?

 

 

というある日。

朝4時までお酒を飲んでいたら、

最後の最後に

まあまあ深い話をしたときに

紹介してくれた本があって。

 

それにとても感銘を受けました。

 

 

わたしが

「みんなが幸せに生きていく」

と表現していたことは

 

「誰ひとり取り残さない」という表現を使っていました。

 

そうなんですよ。

「誰ひとり取り残さない」合意形成の仕方が知りたかったのよ。

対立したとしても、最終的に「誰ひとり取り残さない」解決の仕方をさ。

 

カレーかグラタンで対立したときも

チームにきらいなやつがいても

きらいなやつをすきにならなくても済む解決方法を。

 

 

 

で、要するに、

「みんながOKと思える上位目標を決めておく」

ってことを最初にやることが大事って話なんですけどね。

(え?そんなことかって。そんなことだけど?何?)

 

言い換えると

「なんのために?」

ってことですよね。

 

 

当たり前~~~~~~~

 

当たり前すぎる!!!

当たり前田のクラッカー!!!

 

ザ・アタリマエ!!!!!

 

 

なんだけどさ。

 

当たり前と思うけど。

 

でも、

それができたら苦労しないねん!!!

とか思うじゃん。

だから受け入れられないじゃん。

 

 

思い出したのよ。

言われたわ。

お酒飲んでグダグダしてるときに。

 

会社でこういうことがあったときには

なんのために?っていうのに立ち返るし

上位目標をみんなで見直すんだよ

 

みたいな話をしてくれた人が。

 

全然響かなかったけどな!笑

 

これ、なんで響かなかったのか、今ならわかるんですよ。

 

 

 

なんかね、ちょっと、会社はだめなんよ。

だって、会社はさ、上位目標は社長とか上層部が決めてるじゃん。

会社のポリシーとか企業理念とかそういうもんはさ。

 

家族に社長も上層部もいないのよ。

 

それがお父さんだっていうなら、それはまたそれでちょっとあれなんだけど。

 

フラットな人間関係というか、コミュニティだったらどうすんの?

その上位目標が決まってないねんけど?

って疑問なので。

 

上位目標がはっきりしてれば、そりゃそこに立ち返ればいいよ。

でもそもそも上位目標が設定できないのよ。笑

対立してるから。笑

 

って思っていたのですが。

 

本は丁寧に説明してくれるから。

まあけっこう納得できた。

なにしろ実践してきた人の話。

どう実践してきたのか、深かった。

理屈だけじゃないのだ。

 

で、とにかく、

上位目標が適切でないと、多数決やじゃんけんなど

少数派が切り捨てられてしまわないように話し合いで合意するのは難しそうなのね。

 

でも、まあ、上位目標って、なんなのかってよくよく考えると

対立している意見の中にも共通の欲望があって。

 

たとえばカレーとグラタンならば

「がっつりこってりしたものが食べたい」

っていう共通の欲望がありそうなのである。

 

そうすると、たとえば、

「がっつりこってりしたもので誰ひとり取り残さない夕食メニューを決める」

ということでみんな納得したとして、

それを上位目標として掲げた場合、

 

 

カレーとグラタンのどちらかにすると取り残される人が出てくるわけだから

 

じゃあ、カレー味のグラタンにするのは?

とか

逆にトンカツというのは?

とか、

カレーのルーのほかに、グラタンマカロニをゆでて

グラタン派はマカロニにカレーをかけるのはどうか?

とか

それだと母の手間がすごいのでは?

とか、

ならば俺がカレーをつくり、母はグラタンを作るのはどうか?

 

などという第3の意見が出てくることになるのではないか。

 

 

カレーかグラタンかを決めるのにそんなことを?

 

というみなさまの気持ちもわかりますが

 

3回連続で少数派できりすてられた子のすね方はえぐい。

 

ぼくの食べたいものはいつも食べられない、とか言って泣くこともある。

(小さいときね)

 

 

または、じゃんけんで決めるとしてもせめて全員の合意がないとだめだろう。

じゃんけんの仕方についても。

 

あと、決まった後にガタガタ言うのはナシ!

というのも、「誰も取り残さない」にはなってない。

だからガタガタいうのはアリ。

その場合はもう一回考えるしかない。

 

 

面倒くさい。

面倒くさいけど、誰も嫌な気持ちにならない。

 

 

 

 

なので、わたしはこれからチームの7人の

「みんながOKの上位目標」を考えるために人の話を聴くしかない。

 

だいたい今も対立しているのに

「みんなで納得の上位目標を考えましょう」

とか言い出しても絶対うまくいかない。笑

 

けど、共通項を探して提案することから始めてみようと思う。

 

これは希望なのだ。

 

人間は希望がないと生きていけない。

 

その上位目標に「誰も取り残さない」という文言が入ると思うんだよな。

でも、わたしから言い出してもうまくいかない。

だから難しいけど

このチームで7人が納得の合意ができたら

それはけっこうすごい体験だと思うから

やってみる価値はある。

と思って取り組んでいきたいと思う。

 

だからこの先は、

「どのようにしたら対立した人間同士で

みんながOKと思える上位目標

を設定することができるかチャレンジ」

に挑戦するということになる。

 

でもやることがわかっているなら

まあ、それに対して工夫していくことはできるし、

トライアンドエラーで実践していくだけなのである。

 

と、今は思っている。

 

そもそも、このチームでの活動をすることになったのは

ケンティーのせいなのである。(せい)

 

昨年の春の原宿駅での遭遇に感謝したことがきっかけで

引き受けるのをやめようと思った役割を引き受けたことがきっかけだからだ。

 

だからなんとしてもやり通したいのだ。

ケンティーに誓っているのだから。

(いつの間にか誓ったことになった)

 

 

今年の夏のツアーの本編最後。

Sad Worldでケンティーは歌うのだ。

 

「あの日の約束を 叶えるところ 

見せるから 今照らして」

 

ケンティーに誓ったので。

それはわたしとケンティーの約束なので。

 

だからわたしはどうしてもあきらめることができないのだ。

 

(そこ、後半は菊池が歌っている、という指摘には、知っていますと答えます)

 

最後まで頑張るよ、ケンティー

いつもありがとう。

 

 

 

 

 

このようにしてわたしはケンティーと夫に(主に)支えられて生きているのである。

 

わたしはケンティーのファンである。

これからもきっと。

 

彼のエンターテイメントがすきだ。

5mある足も、彼の歌声も、彼のセンスも、彼の演技も。

そして顔がいい。

 

しっかり考えて計画して生きているところも

野心を持って目標に取り組んでいるところも

早口ではっきりしゃべることができるところも

努力の天才であるところも。

 

彼のいいところをたくさん知っている。

 

キラキラのアイドルとして覚悟を持っているところも。

いつもびっくりするし尊敬している。

 

たくさんの困難や、予想外のことや、

本人の力でどうにもならないことに直面したときも

彼を応援している。

 

活躍してもしなくても、

とにかく応援している。

 

そして

ケンティーに出会ってわたしは

ジャニーズのエンターテイメントにはじめて出会った。

 

ジャニーズのエンターテイメントはとても魅力的だ。

そのエンターテイメントの中で輝くケンティーを見るのがすきだ。

 

たくさんのアイドルたちが、自分の個性を磨いて切磋琢磨している場所だと思った。

先輩を尊敬しつつも、新しいアイドルの形を創造する場だと思った。

その中で磨かれてきたケンティーのファンなのだ。

 

人権は守られなければならないので

社会的な責任を果たさないといけないと思う。

 

だから、会社が変わったりするのは仕方ないことだと思う。

 

それは「誰も取り残さない」というのに近づくためなんだと思う。

 

「誰も取り残さない」ために社会的責任を果たすことが必要ならば

被害者も加害者側もメディアも芸能界も、

誰も取り残さないようにこの問題を解決する方法を見出してほしい。

 

大変なことだと思う。

でもどうにか、それができないのだろうか。

 

見出してほしい、とか言ってるのもあれだね。

わたし自身もまた考えたほうがいいのだから。

 

 

会社の形が変わっても、

ジャニーズの「エンターテイメント」はこれからも見たいと思ってしまう。

それを願うのもいけないのでしょうか。

それについても考えたい。結論は出てない。

 

 

 

 

 

 

 

いろいろな講演を聴いたりする中に、

人権に関するものもあったのよ。

とくに、子どもに関する人権。

 

子どもたちを取り巻く環境が厳しい。

人権を侵害されるようなことをされた子が

いろいろ巡り巡って自分も人権を侵害する側になってしまうことが多いのだと聞いた。

 

社会的な問題に対して、自分が何をできるのか、と無力な気持ちにはなったけど

子どもの話を聴くことの大切さは言っていた。

あと、本当に小さいことだけど、近所の子でも地域の子でも名前を覚えて呼んであげることだと。

自分の存在を認めてもらえたことになるから、と。

 

それは自己肯定感につながるからと。

 

自己肯定感を持つことの大切さは最近特に言われているけど、

その講演を聴いた帰り道にボー――っとしながら思ったんだよね。

 

わたしを支えてくれている二人の男たち(ケンティーと夫)は

わたしの自己肯定感を支えているな、と。

 

ケンティーはいつも感謝と愛を伝えてくれて、

みんなのおかげでアイドルでいられます、なんて言ってくれるわけじゃないですか。

 

存在を認めてくれているということなんですよね。

 

 

アイドルはファンに感謝してくれるじゃない。

いつもありがとう。

応援ありがとう。

 

勝手に好きで応援してるのに。

 

存在を認めてもらうこともだけど、

誰かの役に立つことは自己肯定感を上げてくれるそうですよ。

 

 

わたしが相当厳しくてしんどくて絶望だ、と思っても

なんとかやっていけるのは自己肯定感を支えてもらっているからなんだな、と。

(夫は話を聴いてくれるからね。念のため)

 

で、なんとなく思ったのですが、

 

推しが生きがいだ

とか

推しがいるから生きていける

とか

つらいときにアイドルに勇気をもらっていた

とか

 

そういう人たくさんいると思うのですが、

それはどういうことかというと

自己肯定感を支えてくれるからなのではないだろうか。

 

だから、アイドルは自己肯定感をあげてくれる存在なのかもしれない。

 

とくにケンティーは。

ケンティーのファンになったら自己肯定感が爆上がりする気がするぞ。

 

ケンティー、いつもありがとう。

 

このありがとうの意味は

自己肯定感を支えてもらってありがとうなのかもしれない。

 

 

 

なんとなくそんなことも思いました。

 

 

 

とにかく長いし、頭の整理なのですみません。

 

 

 

 

でもさ。

 

7月の横浜アリーナ公演の最終日。

 

なんかね、急にどうしてもケンティーに感謝を伝えたかったの。

いろいろあってね、そのときも。

でも、ここまで頑張ったら横アリだから、と思ってがんばって、

なんとかそこまではやりきったの。

 

で、当日になって急に新しいうちわを作りたくなっちゃって。

朝から作ってたの。

 

 

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で、思ったよりも早くできて時間があまって。

なんとなく今年っていつも行ってる神社じゃないところに初詣にいったから

いつもの神社にお参りしておこうと思ってお参りして。

(初詣のことを7月に思い出す)

 

お参りしてから横アリに行ったんだけど、

そんなに席はよくなくて。

このうちわ読めるかしら、と思って新しいのは持ってなかったんだけどさ。

 

お隣のわたしと同じくおひとりの菊池担の方とおしゃべりしたの

楽しかったな。

 

嵐のファンから風磨くんに。

結構長く嵐のファンみたいで。

 

わたしファン歴が長い人には聴くようにしている。

 

雑誌の収納はどうされていますか?と。

 

今回で結論が出た。

 

どうにもならない!

 

たまっていくだけなのだ。

とついに認めることとなった。

(初めから明白なのだが)

 

さて、その横アリオーラスのアンコール。

わたしはアリーナ席だったのでスタンドを通るトロッコは遠いな

と思ったら意外と見えた。

 

なんとなく新しいうちわを持つことにした。

ケンティーに届かずとも、それをケンティーに向けて持てる喜びというのはあるのだから。

 

 

 

そしたらさ、トロッコから

 

おや…?!

 

と。

 

で、お隣の菊池担の方に言われたの。

 

今、指差しもらいましたね!

 

ってさ。

 

や、やっぱそう???

やっぱそうだった????

 

っていう。

 

まあ、例によって

そのときのケンティーの表情も何も覚えていないのですが。

(どうしてなの)

 

でも、たぶんうちわを指さしてもらったような気がします。

 

これってどんな奇跡なんだろうと。

 

ケンティーをきっかけにがんばっていることの感謝を伝えたくて作ったうちわなのですから。

 

神様はいる。

 

または、ケンティーが神様。

 

わたしはそう思ったのでした。

 

 

 

とにかくそのようにして

わたしの自己肯定感を支えてくれている彼の

 

これからももちろん応援しているし

きっと大きく羽ばたいて煌めいていくと思っています。

 

 

どんなグループ名になるのかな。

 

おま罪も楽しみ。

ドームも楽しみ。

 

 

いつもありがとうケンティー!!!!!

 

 

 

あと、もしここまで読んだ人がいたとしたら

その人はありがとうございました。

(時間大丈夫ですか?)