続・CANDYについて書かねばなるまい
の続きのようなもの。
ハリーポッターとは関係ありません。(そりゃそうだ)
無事にしっかり中島健人くんというアイドルの本気の覚悟にしびれてしまったわたしが開けた扉はなんだったのか。
それは希望の扉でした
(こわい。でもそうなんだもん笑)
ケンティーに落ちてしまったのは全くの予想外でわたしが望んでいたことでもなかったことでした。
まず、きっかけは娘なので。
この娘が、たとえばキャピキャピしていたら、きっとこんなことにはなってなかったと思う。笑
彼女はクールな女なのだ。(わたしから見たらね。どっちかといえば。または今は、菊池風磨が絡んでいなければ笑)
そんな彼女がアイドルという、いってみれば、らしくない、わたしから見て意外なものにハマっていたから、興味が出たんですよね。
なぜなんだろう?って。
まず、これが一つ。
情報は誰からもたらされるのか、が大きいということを理解した。
そして、今までもわたしはいろんなものに興味を示して深く深ーく調べ尽くしたりして生きてきたけれど、だいたいは自分から手を伸ばしていったものが多かったのです。
それが、今回はどうでしょう。
最終的にはものすごく調べちゃったけど笑
一ミリの興味もありませんでしたからね。
アイドルにもジャニーズにも、中島健人にも。
なのに、この有様でしょう。笑
これは、すごい可能性を秘めていると気がついたのです。
だって。
明日、わたしに起こることはわからないのだから。
(当たり前すぎてウケるでしょ。)
そんなこと?!と思うかもしれないけど
人間って何かしらの思い込みとともに暮らしてて。
それは実は自分の命を守るため。
太古の時代に、人間は生きていくのが大変だった。
穴に落ちたり、動物に襲われたり、変なものを食べてお腹を壊したり。
でも昨日生き残れた方法論は有効だと証明されている。
だから、そのやり方で今日も生きる。
それで生き残れたら明日も。
失敗したことはやらない。
1度食べてお腹を壊した食べ物はもう食べない。
その方が生き残る確率が高いから。
もしかしてすごく美味しいもので、たまたま昨日食べたときが状態がよくなかっただけで、もう一度食べたら美味しいかもしれなくても。
人間がうまくいったことよりも、失敗したことを忘れられないのは本能だと聞いたことがあります。
思い込みは生命を守るために必要だったんだそうです。
そんなDNAが組み込まれてるから、ふつうにしてたら大人になるとあんまり新しいことを取り入れなくなるらしいんだよね。
懐メロばっかり聞いたり。
知れた仲の友だちとばっかり会ったり。
自分はこういうもの、というのができてくると、それ以外のものはあんまり取り込まなくなってくる、そうですよ。
時間的な感覚でいうと、人生の折り返しは10歳なんだそう。
10歳までの時間、見るもの全てが新しくてはじめてのことばかりで。
しかし、その先、たとえば80歳まで生きて70年あったとしても、感じる時間は10歳までと一緒。
うそでしょー?!って思ったけど
これが正しいかどうかの問題ではなくて、
そのくらい、知らず知らずに同じことや知ってることばかりやってしまうものなんだってことを頭の片隅に置いておくのもありかも、と思ったのでした。
だから、なるべく新しいことに触れて、たくさんの人と話したい、と思って生きてるんだけどさ。
「チャレンジ」はわたしの人生の1つのテーマでもある。
根本的に、人はそうしようと思ったら死ぬまで成長していけると思っていて、成長していきたいという気持ちを持つのもまた本能なんじゃないかな。
チャレンジして新しいことをやると、うまくいかなくて失敗して、だからどうしたらいいか考えるから人は成長していくじゃないですか。
(ひとつの道を極めるのもありだけど、アプローチ方法は試行錯誤するでしょうからそれは新しいことだと思う)
つらいときには、忘れちゃうけど、そもそもうまくいってるときに成長する人っていなくて。うまくいかないときに人間は成長するのよね。
(これ、テストに出ますよ。子どもたちに伝えておきたいこと50に入ります)
そう思ってるけど…それでも勝手に、自分はこう、っていうのが出来てきちゃうしね。
うまくいかないと嫌だからうまくいきそうなことだけに手を出したりね。
大人になると、無意識に。
と、思ってた矢先の。
ケンティーとの出会いだったわけで。
こんなに突然、予想もしないところで、新しい扉が開いてしまうとは!!!
びっくりしちゃって。
でもよく考えたら、これはものすごい可能性があることを証明したな!と思って。
この先も、たくさんいろんなものと出会える可能性。
予想もしなくて興味を持つこともなかったものを急に好きになる可能性。
苦手だった人が好きになったり、
美味しく感じなかったものを美味しいと思えたり、
分かり合えなかった何かを人とわかちあえたり、
出来なかったことが出来るようになったりする可能性が確実にある。
可能性があることを人は希望というのだ。
だから、ケンティーがわたしに開けた扉は希望の扉なのだ。
そんなの、取り立てて新しい発見じゃなさそうじゃないですか。
でも、頭でわかってることと、身体で経験したことの差はとても大きい。
説明されてわかることと、実体験を伴う理解は雲泥の差なのだ。
そして、わたしに起こったことは他の人にも起こり得るのだ。
家族や友達や、わたしの周りの人にも希望の扉は開き続けている。
出会いは夢のはじまり
なんだって。
この言葉を教えてくれた人はケンティーの話とともにこの言葉が出されているとは思わないだろうな。笑
大人になって、そのような経験ができたことを心から嬉しいと思う。
娘に感謝している。
こんなブログを作ることもなかったよ。きっと。
だから、これを読んでくれてるどこかのあなたとの出会いもね。
こんなの、読んでくれてありがとうね。
うん、
人生って、やっぱり素晴らしいね!
こんなケンティーに
きゃー!!!
っていうこともなかったでしょうしね。笑
だから、そう!
そこのあなた。
安心して
ウェルカム トゥー ケンティーワールド☆
しちゃいなよ!
ケンティーは、いつだってウェルカムなのです。
(中島健人ファミリアス協会、会員の手記)
(中島健人ファミリアス協会で検索)
(わたしも一緒に焼肉が食べたい)